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富山=「田舎」#2

富山の「田舎」をアピールすることに問題は無い。だからといって、その表現を田舎っぽくする必要はない。富山が持つ魅力が「田舎」に凝縮されているのなら、それをわかりやすく表現して、たくさんの人に知ってもらうこと。「田舎」の表層をなぞっても、誰も見向きもしないだろう。「くらしたい国、富山」というわかりやすいキーワードがあるのだから、もっと絞った表現もできると思うのだが…

長くなるが、以下にグローバル/ローカルに関する原研哉の言葉を引用する。(引用元は下のリンクからどうぞ…この部分以外にも非常に面白いトークイベントの採録となっているので、無印良品ファンじゃなくても必読)

最近はグローバルという言葉がよく聞かれるんですが、グローバルというのは僕は経済用語だと思っています。文化を語る言葉ではない。たまたま、世界中でものをつくったり販売したり、あるいは金融システムを標準化したりすることから、ものの生産や物流、組み立てや販売の仕組みを地球規模で展開したほうが無駄がなくて合理的だということになってきた。そういう観点からグローバルという言葉が出てきたわけですが、文化というのは本質的にローカルなものなんです。シシリア島であり、伊豆半島であり、京都であり、北京なんですよ。
イタリアのお母さんが「マリオ! パスタを食べるときはお皿を温めなさい」といいますよね。そうやって食べるパスタがおいしい。あるいは日本の旬を見事に捕まえる懐石料理がおいしいんです。これが文化。あちこちの料理をミックスした料理なんておいしくない。オリジナルな食材や工夫、旬みたいなものが、ローカルなままの価値を保存しながら、世界の文脈へと通じていくところに文化の醍醐味があるわけです。
ただし、ローカルに育まれてきたものを、方言でしゃべるのではなくて、共通語や世界語にしてスムーズに世界につなげていく態度が重要です。グローバルな時代にあればこそ、むしろローカリティーの実質をしっかりと探りあててつかんでいなければならないと思うんです。



原研哉トークイベント採録|くらしの良品研究所|無印良品
http://www.muji.net/lab/report/100203/




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くらしたい国、富山

富山=「田舎」#1

「くらしたい国、富山」という県のキャンペーンで、週刊朝日の裏表紙に富山出身のタレントを起用した広告が載った。山奥にある山村の景色とタレント。そして「富山ってね、すごい田舎なんです。」というコピー。これが富山で暮らしたい人を増やすため、県が行ったキャンペーンなのだ。果たしてこれで暮らしたいと思うのか?富山に興味を持つのだろうか?

富山は田舎なんだし、田舎を逆手にとってアピールしとけばいいだろ?みたいな。全国的な知名度が劣る富山県。いかに内外にアピールしていくか、必死なのはわかる。しかし、この手法って何周目?って感じがするのもたしか。飽きてる。

広告に使われた景色は、富山市八尾の山あいの集落らしい。しかしこの山村の写真から、富山だとわかる(感じられる)ものは無い。漠然とした「田舎」というものに対するイメージを求めて、撮影された景色なのではないか。

この山村の風景からは、富山らしさ=ローカリティが感じられない。富山の風景なのはたしかだが、薄っぺらなただの記号だ。この広告からは「田舎」という記号しか伝わってこない。本来、ローカリティは強烈な文化を内包しているはずなのだ。魅力的なはずの文化。それをまったく感じることができない。

記号的な「田舎」の写真に、取って付けたような「田舎」をアピールするコピー。ローカリティの本質から目を逸らしたこの広告に、富山の何を語ることができるだろうか。誰の心を揺さぶることができるだろうか。

くらしたい国、富山「定住交流促進サイト」
http://toyama-teiju.jp/





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